日経スペシャル ガイアの夜明け「葬儀をプロデュース〜変貌するニッポンの“お葬式”〜」

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview060815.html

…親しい人の身内の不幸があったばかりなので見入ってしまった。

人生の終わりは不意に訪れることが多いし、余命いくばく無いと判っていても、そして亡くなった後はなおさらの事、葬儀やら納骨やらの段取りやら費用やらなんて遺された人たちは考えることは出来いないよな。

…しかし葬式って何でするんだろう。その事をつづったページをふと見つける事が出来た。

Kiitos.:葬式 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/buenasuerte_69130/archives/50141296.html

わたしにとって「死者との別れ」は、「けじめ」をつけるものではないような気がします。
たしかに、今までのように生きているわけではないので、葬式は「死者の再確認」とも言えます。。その後「火葬」であれ「埋葬」であれ、はたまた「鳥葬」等さまざまな儀式があろうとも、「死者」にはかわりがありません。

「死者」とは何ものでしょう。端的に言えば、「死なないもの」、と言えるでしょう。「死なない」、そう「死なない」のです。つまり「生きている」のです。うん?おかしい?いや、おかしくはないのです。「死者」になったものは、「死なない」のです。

「生者」が「けじめ」をつけようにも、つけられないのが「死者」なのです。「死者」は死のプロセスを踏まえて生きる「生者」ではなく、死のプロセスの終わった「生きているもの」なのです。仮想してはいけません。

「死者」にたいしての「儀式」は、死での旅路に送るのではなく、つまり永遠の別れのように考えるのではなく、わたしたち一人一人のなかに迎え入れる「儀式」なのです。
わたしたちのなかに迎えられることで、「死なないもの」つまり「生きる」わけです。それが「再生」です。「葬式」とは「再生の儀式」なのです。

そうか。そんなんだよね。葬式ってそのためにあげるものなんだよね。